第6課 早野勘平の悲劇と人気の秘密
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1.早野勘平のモデル
『仮名手本忠臣蔵』で一番人気のある登場人物(とうじょうじんぶつ)は、五・六段目の主役早野勘平(はやのかんぺい)だ。モデルは一応いる。浪士のひとり萱野三平(かやのさんぺい)だ。
萱野三平
三平は、浪人になって故郷(こきょう)に戻(もど)ったあと別の旗本に仕えるよう父から勧(すす)められた。その旗本(はたもと)が吉良上野介(きらこうずけのすけ)と関係のある人物だったため、あだ討ちと親孝行との板ばさみになり切腹した。討ち入り前に亡(な)くなったので四十七士の中には入(はい)っていない。
2.勘平切腹の理由
実在の萱野三平(かやのさんぺい)と違(ちが)い、早野勘平(はやのかんぺい)は切腹(せっぷく)のあと討(う)ち入(い)りへの参加を許(ゆる)された。
それに切腹に追い込まれた理由も萱野三平と異なり、「色」と「金」に絡むものであった。当時(とうじ)の観客(かんきゃく)の多くは庶民だ。彼らにとって、武士(ぶし)のあだ討(う)ちは遠い世界の話だが、「色」と「金」にまつわる事件ならば、自分の回(まわ)りでも起こる可能性がある。このように、『仮名手本忠臣蔵』は実際のあだ討ち事件を基(もと)にしながら、庶民の関心事を中心に物語が展開(てんかい)する。
3.お軽との恋
勘平(かんぺい)は最後には主君に対する忠義を貫くために切腹するが、彼の運命を狂(くる)わせたのは「色」、すなわち恋人(こいびと)のお軽(かる)だった。将軍の御殿で大切(たいせつ)な儀式(ぎしき)が行われている最中(さいちゅう)に、勘平はお軽に誘(さそ)われて御殿(ごてん)の外に出た。
主君の塩冶判官(えんやはんがん)が儀式に出席した後は、勘平には特に仕事がなかったからだ。ところが、職場(しょくば)を離(はな)れていた間に判官が高師直(こうのもろなお)に切りつけるという大事件が起こった。主君の一大事(いちだいじ)に現場(げんば)にいなかったことに責任を感じて、勘平は切腹しようとした。だがお軽に止(と)められる。時間が経(た)てば今日の罪(つみ)も許(ゆる)されてあだ討ちに参加できる機会(きかい)が来るかもしれないと説得され、取り敢えず江戸を離(はな)れてお軽の実家に身(み)を寄(よ)せることにした。
4.大金の誘惑
そして勘平(かんぺい)は「金」のために最後には死ぬことになる。彼はお軽の故郷(こきょう)で猟師として生活を始めた。
ある夜、勘平は猪に向かって鉄砲(てっぽう)を撃(う)ち、手応えを感じてあとを追(お)って行った。すると男が倒(たお)れていた。真っ暗闇で男の顔は見えなかったが、自分の撃った鉄砲が誤ってその男に当たったことは確(たし)かだった。
慌てて、何か薬を持っていないかとその男の懐を探(さが)すと、大金の入った財布(さいふ)が手に触(さわ)った。手探りで数えると五十両あった。勘平はその時、あだ討ち参加(さんか)に必要だと言われた金をどうやって作ろうかと悩(なや)んでいた。五十両あれば参加できる。彼はつい誘惑に負(ま)けてその財布を盗(ぬす)んでしまった。
5.山中での強盗殺人事件
勘平が猪(いのしし)と間違(まちが)えて撃ち殺した男は強盗殺人者(しゃ)だった。勘平の盗(ぬす)んだ五十両(りょう)は、その男がお軽の父与市兵衛(よいちべえ)、即(すなわ)ち勘平の舅を殺(ころ)して奪(うば)った金だった。
(左:強盗の斧定九郎、右:定九郎に殺される与市兵衛)
『仮名手本忠臣蔵』が誕生(たんじょう)した時代の五十両と言えば、現代の300万円以上だ。そんな大金を与市兵衛(よいちべえ)は何故(なぜ)持(も)っていたのか。実(じつ)はこの五十両は、お軽が勘平のために京都の遊郭に身を売って作ったものだった。貧しい庶民(しょみん)の家では、娘が身を売ることは珍(めずら)しい話ではなかった。
与市兵衛は遊郭(ゆうかく)でその金を受け取ると、早く勘平に渡(わた)そうと家に急(いそ)ぐ途中(とちゅう)、山の中で強盗に殺されたのだ。
6.重なる誤解が生んだ悲劇
もともとは勘平(かんぺい)のために作られた五十両。偶然(ぐうぜん)とは言え最後には勘平の手にその金が渡(わた)り、勘平は舅(しゅうと)の仇(かたき)を討(う)ったことになるが、与市兵衛(よいちべえ)の死体(したい)を村人が家(いえ)に運(はこ)んで来て山の中で死んでいたと話した時、勘平は自分の殺したのが舅だと思い込(こ)んだ。
その時ちょうど家を訪ねてきていた浪士(ろうし)二人に「舅を殺して盗んだ金が亡(な)くなったご主人の役に立つと思うか」と激しく詰め寄られ、絶望して切腹した。死の間際、すべての真実が明らかになり、浪士二人は勘平を討ち入りの参加者に加えることを約束(やくそく)した。
7.勘平の人気の秘密
勘平(かんぺい)は、討(う)ち入(い)りの指導者(しどうしゃ)大星由良之助(おおぼしゆらのすけ)のように固(かた)い意志(いし)と深(ふか)い考えを持つ立派(りっぱ)な武士(ぶし)ではなかった。主君に対する忠義(ちゅうぎ)の心は他の武士と変わらなかったが、意志が弱(よわ)く、目の前の誘惑(ゆうわく)に勝(か)つことができず、場当たり的な行動を取ってしまい、悲劇(ひげき)の連鎖を断ち切れなかった。しかし観客(かんきゃく)の多くは庶民(しょみん)だった。尊敬(そんけい)はできても立派過(りっぱす)ぎて近寄(ちかよ)りがたい由良之助(ゆらのすけ)よりも、人間的な弱さを持つ勘平の方が親しみやすく、そのことが、彼をこの劇一番の人気者にした秘密(ひみつ)だろう。