第4課 『仮名手本忠臣蔵』の誕生とそれぞれの段の主役
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1.『仮名手本忠臣蔵』の誕生
(1)赤穂(あこう)浪士の切腹直後(ちょくご)から、この事件は当時(とうじ)の市民の娯楽(ごらく)であった歌舞伎や人形浄瑠璃などで何度も劇化されたが、その中で最も有名なのが、討ち入りから数えて47年目の1748年に作られた『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』だ。『仮名手本忠臣蔵』は、「三大名作(さんだいめいさく)」と呼ばれる作品のひとつだ。他の二つは『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』(1746)と『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』(1747)であり、全て、竹田出雲(たけだいづも)、三好松洛(みよししょうらく)、並木千柳(なみきせんりゅう)という三人の作者による合作だ。
(歌舞伎の三大名作)
これらの作品は最初人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)のために書かれたが、大当たりを取ったためにすぐ歌舞伎化(かぶきか)された。いずれも人気が高く、現在でもよく上演される作品だ。
(2)なかでも『仮名手本忠臣蔵』は歌舞伎の中で特別な位置にある。400年の間には歌舞伎の人気が落ちた時もあるが、そんな時でもこの劇を上演(じょうえん)すれば観客(かんきゃく)が劇場(げきじょう)に戻(もど)ってきたのだ。この作品が上演されたあと赤穂事件(あこうじけん)が「忠臣蔵」と呼ばれるようになったことからも、この劇の人気と影響(えいきょう)の大きさが分かる。
(赤穂事件を描いた映画)
現在でも、特別な機会(きかい)には必ず上演される。たとえば2010年に古い歌舞伎座(東京にある歌舞伎専門の劇場)が取り壊される前の「さよなら公演」でも、また2013年に新しい歌舞伎座が完成したあとの「杮落とし公演」でも上演された。
(2013年12月、こけら落とし公演として『仮名手本忠臣蔵』が通し上演された)
2.『仮名手本忠臣蔵』の構成と、それぞれの段の主役
(1)この劇は11段(だん)から成(な)る。「段」とは「幕(まく)」のことだ。全ての段を一挙に上演した場合12~13時間かかる。江戸時代はそんな「通し上演」が普通(ふつう)だったが、近代化が進み忙(いそが)しい人が多くなるにつれて、その中の幾(いく)つか、あるいはひとつの段だけを選んで上演するようになった。これは「見取り上演」と呼ばれる。しかしそれぞれの段ごとに別の話になっているので、通しで見ないでもちゃんと楽しむことができる。
(2)江戸時代の歌舞伎では、当代の事件を実名で演じることは禁止(きんし)されていた。そこで、南北朝時代(1336-1392)を舞台(ぶたい)とする文学作品『太平記』の中の登場人物(とうじょうじんぶつ)に置き換えられた。劇中の塩冶判官(えんやはんがん)は浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)、高師直(こうのもろなお)は吉良上野介(きらこうずけのすけ)のことだ。吉良家(け)討(う)ち入りの指導者(しどうしゃ)である大石内蔵助(おおいしくらのすけ)は「大星由良之助(おおぼしゆらのすけ)」、息子の「主税(ちから)」は「力弥(りきや)」(「力」という漢字は「ちから」とも読む)のように、本当の名前に合わせて、それと似(に)た音や漢字が使われた。
(『太平記』中の塩冶判官と高師直)
(3)主役は段によって異(こと)なる。「大序」と呼ばれる一段目の主役は悪役の高師直(こうのもろなお)だ。彼に加えて、塩冶判官(えんやはんがん)、判官の妻の顏世御前(かおよごぜん)、判官と共に高師直の下で働く桃井若狭之助(もものいわかさのすけ)が登場し、事件の始まりが描(えが)かれる。
二段目は桃井家(もものいけ)が舞台となり、若狭之助(わかさのすけ)が家老の加古川本蔵(かこがわほんぞう)に師直(もろなお)を殺すつもりだと打ち明ける。また、加古川家と大星家の関係が明かされる。本蔵の娘小浪(こなみ)と由良之助(ゆらのすけ)の息子力弥(りきや)は婚約(こんやく)しているのだ。あとに続く三・八・九段目の伏線を張る段だが、現在ではほとんど上演(じょうえん)されない。
三段目前半は「進物場(ば)」と呼ばれる場面で、桃井家(もものいけ)を守るために家老(かろう)の加古川本蔵(かこがわほんぞう)が高師直(こうのもろなお)にたくさんの贈(おく)り物(もの)を届(とど)ける。三段目後半では、塩冶判官(えんやはんがん)をしつこく侮辱し続ける師直と、がまんできずにとうとう刀を抜いてしまう判官が主役だ。「喧嘩場(けんかば)」と呼ばれている。
(4)四段目の主役は切腹(せっぷく)する判官だ。切腹の場面は「通(とお)さん場(ば)」と言われて、江戸時代には観客(かんきゃく)の入場(にゅうじょう)や退場が禁じられた。現在でもその決まりは一応(いちおう)守られている。四段目の上演前には、「これから通さん場になります。入場・退場をご遠慮(えんりょ)ください」という注意書きが出される。静かな張り詰めた雰囲気(ふんいき)の中で、作法(さほう)に従(したが)った切腹の様子(ようす)が描かれる。この段の後半(こうはん)に漸く大星由良之助(おおぼしゆらのすけ)が登場し、死ぬ間際の塩冶判官(えんやはんがん)に会って敵討ちを誓(ちか)う。
(5)五・六段目の主役は、判官の家来の一人である早野勘平(はやのかんぺい)だ。ほぼ架空(かくう)の人物だが、『仮名手本忠臣蔵』の中で一番人気のある登場人物だ。
七段目でやっと大星由良之助(おおぼしゆらのすけ)が主役になるが、この段の後半(こうはん)では、百姓出身の足軽寺岡平右衛門(てらおかへいえもん)と主役が交代(こうたい)する。平右衛門の妹で、早野勘平(はやのかんぺい)の恋人(こいびと)お軽(かる)もまた、この劇で非常に重要な役割(やくわり)を演じる。お軽については第5課で詳(くわ)しく述べる。
八・九段目の主役は、桃井若狭之助(もものいわかさのすけ)の家老(かろう)である加古川本蔵(かこがわほんぞう)とその妻戸無瀬(となせ)だ。
十段目は、この劇で一つだけ、町人の天河屋義平(あまがわやぎへい)が主役になる段で、十一段目で討(う)ち入(い)りが描かれる。
(十段目)
(十一段目)